アメリカン・ハード・ロックの帝王、アリス・クーパー。彼のシアトリカルで過激なパフォーマンスは“ショック・ロック”と呼ばれ、全米中の話題をさらったのは40年以上前のこと。以来、浮沈しつつも世界中で多くのファンを獲得し続けてきた偉大なミュージシャンである。 1969年、アルバム『プリティーズ・フォー・ユー』でデビュー。1971年発表の3rdアルバム『エイティーン』、同年発表の4th『キラー』がヒット。そして翌1972年に発表した5th『スクールズ・アウト』が全米アルバム・チャート2位まで上昇し、シングル・カットされた「スクールズ・アウト」は最大のヒットを記録した。続く1973年の『ビリオン・ダラー・ベイビーズ』は全米1位となり、ロック少年達のヒーローとして、その地位を不動のものにした。
フランク・ザッパとも交流のあったバンドは、デビュー時の音楽性こそアート・ロック志向であったが、その後わかりやすいハード・ロックンロールへ路線を変更。さらにステージでは“ショック・ロック”を打ち出し、ホラー映画のような世界感を体現した。蛇の眼のような黒く縁取られたアイラインでステージに登場し、本物の大蛇を首に巻き付け、ドル紙幣を客席にバラ撒き、ギロチンや電気椅子による死刑執行のパフォーマンスを行うという、大掛かりなエンターテインメント・ロック・ショウを展開した。これらは後続のロック・バンド達に多大なる影響を及ぼすことになった。そもそも顔面に妖しいメイクを施すという、現在でもよく見かけるギミックもアリス・クーパーがオリジナルであるわけで、その影響の大きさは計り知れないものがある。
アルバム『マッスル・オブ・ラヴ』(1973年)を最後にバンドとしての“アリス・クーパー”は解散、以後アリスはソロ歌手として活動することになる。1980年代前半には勢いを失うも、1980年代中半から徐々に取り戻し、1989年にはボン・ジョヴィやエアロスミスのメンバーなど豪華ゲストを迎え、時のヒットメイカーであるデズモンド・チャイルドの協力により制作された『トラッシュ』が大ヒットを記録。華麗なる完全復活を遂げた。